閲覧頂きありがとうございます。
ブログ著者の「keizi」と申します。
ブログ初心者の私ではありますが、
このページを読んで頂ければ私のことはだいたいわかるようになっていますので、
お読みいただければ幸いです。
1.プロフィール
名前:
keiziです。戦国武将の前田慶次から来ています。
職業:
現役の理学療法士です。2023年度で12年目となります。
趣味:
野球(約13年間)、 スポーツ観戦、 ゲーム。
出身:
三重県四日市市産まれ、 桑名市育ち。
一人一台車が必要なほど田舎ではありますが、住み心地はとても良いです。
2.私のビジョン・夢・姿勢
理学療法士(=physical therapist 略:PT)として社会に飛び出し、12年。
PTの「P」はperfectのPだと考えてすべての患者様が診れるようにと医学・技術を現在まで磨いてきた。
職場を三度変えて総合病院やクリニック、介護保険施設を経験している。
社会に出て目標としていたところまで来たときにふと、
「今の時代を生き抜くためには新しい何かを得ないといけない」
と思いブログを立ち上げました。
時代においていかれないようアフェリエイトを皮切りにWEBマーケティングを学ぶことで
自身の仕事の幅も広がると考えています。
「僕は、新しいことや新しい環境に飛び込むのが好きで、ドキドキしながら仕事をすることが好きなのです。」
そのためには、自分自身を知ること、ダメなところも理解し受け入れ行動していく。
「気は使えど、遠慮はするな」
「頭と体で働く」
この二つの言葉を常に意識し、なりたい自分になるために
やった気になって満足せず常に俯瞰で自分をみてlittle keizi(笑)とディスカッションする。
現状に満足せず、ひたすら進み続ける。
自分が背負っているものの重さを自覚すること。
3.生い立ち
私の生い立ちを紹介します。
もしかしたら共通点もあるかもしれないので、
共感点があれば教えて頂けれ嬉しいです。
誕生~幼少期~小学生時代
三重県四日市市に三人兄弟の末っ子(次男)として誕生。
家族構成は、父、母、姉(10歳上)、兄(8歳上)、僕です。
父親は普通のサラリーマン、母親はパート勤務で共働きの家庭でした。
僕はほとんど覚えていないのですが、親戚中にとても可愛がられたようです。
小さな頃から好奇心旺盛だったようで、当時住んでいたアパートでボヤ騒ぎを数回していたようです。
(ライターで遊ぶやカーテンで遊んでいたときにストーブの火が付くなど)
→迷惑な奴ですよねー(‘◇’)ゞ
保育園と幼稚園に通い地元の祭りにも元気に参加していたようです。
当時の写真にはみたことがない人がたくさん写っていて自分でも驚きます(笑)
小学生になると勉強よりも遊びに夢中で小さな傷が絶えず
動くブランコからジャンプする遊びをしていて着地に失敗し、
右足のすねの骨を骨折したことを今でも覚えています。
小学3年生になり地元の野球チームに所属。
地区大会では何度も優勝し、6年生では副キャプテンを務めていました。
学校が終わると校門前に父親が待ち構え放課後~日が落ちるまで練習の毎日でした。
反抗期が訪れた中学生時代
小学6年生卒業前に隣町のシニアチーム(野球チームでプロ野球と同じ硬式ボールを使用する)に入団。
当時は身長も低く背の順でも前から3番目以内でした。
中学2年生の頃に「オスグッド・シュラッター病(一般的には「成長痛」で広まっている)」を患い、走れなくなりました。
それを理由にシニアチームを退団し、中学校の野球部に転向。そこからが反抗期の始まりです。
両親への反抗とプチ家出を繰り返すなど
詳細は割愛させていただきますが、今思えば当時は両親に心配・迷惑をかけたと反省しております。
そんな中、母親が車で通勤途中に後続車両に追突され股関節を骨折。
もともと亭主関白だった父は家事も当然しなかったため、僕が全て行うことに。
この時に、理学療法士になることと、家事ができる人になろうと決意。
夢中になった高校時代
反抗期もあり成績もよくなかったので、地元の高校へ進学。
反抗期の延長線で高校一年生はサッカーをしていました。
中学の同級生の熱烈アタックもあり、高校2年生から野球部へ。
シニアチームにいたことがなぜか知られており、練習試合2試合目からレギュラーになりました。
地区大会は優勝していましたが、肝心の選抜大会では実力を発揮しきれず三回戦敗退。
筋トレしまくってたので当時は体脂肪4~5%でムキムキでした(笑)。
野球が終わると次は進路。
進路指導室で「理学療法士になります」と伝えると、「うちの学校からじゃ無理だ」と言われ火が付き、
人生で初めてまともに勉強し見事専門学校に合格。
進路指導室に合格通知を投げつけたのを覚えています。
夢に向かい進みだした専門学生・大学生時代
僕が通学していた理学療法士養成校は通信制大学と同時に在籍することが可能なところでした。
→全然知らなかったんですけど(笑)
専門学校でも軟式野球をし、全国大会に2度優勝。
勉強をしながら野球もして自分の言葉が方言であること、他県の友達の方言を覚えたり
お酒も飲める年になるとよく飲みに行っていました。
学校にもよるが、理学療法士養成校は臨床実習があります。
実際に病院やクリニック、介護施設に決まった期間実習生としてスタッフに混ざり、
学校で学んだことを実際に患者様にお願いし実施する。
そこでは、治療の流れや考え方などを学んでいきます。
→医師や看護師、薬剤師など医療従事者はほとんど必ず実習があります。(医師の場合は研修医)
そして国家試験が終わり友人宅でわいわいしていた時に事件?が発生。
友達の家でお酒を飲んで普通に寝たつもりが翌日目が覚めると病院のベッドの上でした。
どうやら、夜中にけいれんを発症し救急搬送されていたようです。
アルコール中毒症かと思いきや診断名は「脳動静脈奇形」。
診断名を聞いていまいちピンとこなかったが気づかなかったら死んでいたかもしれないくらいの病気でした。
試験も一度失敗し病気治療のため1年間で4回入院し手術を受け完治。
その間は三か所の飲食店でアルバイトをしラーメン屋でバイト店長のようなこともやっていました。
治療も終わり翌年の国家試験に合格し晴れて理学療法士の道へと進みだします。
社会人時代~現在
専門学校の卒業生が一人もいないところで手術直後の患者様を診たかったことから
学校のサポートを拒否し就職活動。
愛知県の病院に就職しました。
プロスポーツ選手も通う整形外科に特化した病院で5年。
自分の経験値を広げるために404床の総合病院へ5年。
→ICUやNICU.GCUなど医療の最先端~クリニックで新規事業の立ち上げ
病院経営にも部分的に携わる等を経験
地元をしるために三重県の個人病院へ転職し現在に至る。
私生活では、一か所目の病院で出会いがあり、25歳で結婚。
現在は、長女(7歳)、次女(6歳)、長男(1歳)の五人家族です。
4.今後の展望
子どもの将来を考えたときに「選択の自由を与えれる環境を整えてあげたい」と思い、
ブログタイトル通り副業を始める決意をしました。
時代背景もあり
WEBマーケティングやSNSを勉強したほうがいいな
子どもの時代は当たり前になるだろうし教えてあげれるようにしよう
自分で何事も考え、判断ができる。
物事の本質を見る目、「知らないから、やらない」ではなく、
「知っているけど、やらない」という選択ができる自分になることと、それができる子どもに育ってほしい。
そんな思いも持ち、ライフワークバランスを考える中で、「独立する」という選択肢が強くなり、
今は「独立をする」ことが目標。
やりたいことをやりたいときにできるようになるため奮闘中です。
何か共通点や共感点がありましたら、コメントもらえると嬉しいです!
最後まで閲覧頂き、ありがとうございました。